自己紹介
9月になったのにまだ真夏のように暑い日。夫の四十九日法要がありました。
我が家から参列したのは私と長男のみ。
三男はお経を聞くだけで顔がこわばってしまうようになり、お七夜といって1週間ごとに念仏を唱えるのも難しくて、別室でずっと次男と遊んでいました。
次男には「三男はお経が怖いからもう行かないんだけど、次男はどうする?四十九日法要っていってお寺でお経をよんでもらって、お墓に行ってお父さんの骨をお墓にいれるんだよ。もし、行かないのなら学校に行ってほしいんだけど。」と伝えた。
次男は少し考え
「そこにWi-Fiはあるの?」と聞いた。
Wi-Fiかい。ポイントそこかい。
いえいえ、本当はわかっていますよ。彼は自分自身のことよく分かっている。きっとWi-Fi環境がなければイライラしてしまう。イライラしてしまうと気持ちが抑えれなくなる。それが嫌だから「Wi-Fiある?」と聞くのだ。本当によく自分のことを分かっている。彼自身イライラする自分をなんとかしようとしているのだ。
「残念だけど、Wi-Fiはないなぁ」と伝えると「じゃ、学校行く」と答えていました。
いつもは「学校潰れろ!」と叫ぶのに。
そんなわけで私と長男、義理の父母、実家の父母、彼の兄弟が参列した。
とても暑くて、でもお寺の中の飾りがきれいで、『あの天井からぶら下がっているのしゃらしゃららーんと鳴らしたい』とか『りんごがきれいに積み上がっている。落ちないのか』とか本当にどうでもいいことを考えたりしながら(この日は睡眠薬の成分が残っていてぼーっとしやすくなっていた)、隣でそわそわしている長男を気にしながらお坊さんのお経を聞いていました。
「びりっ」
ふと横を見ると長男の顔が強張っている。お経の本をうっかり破いていました。
きっと夫も横で苦笑いしていたことでしょう。なんでこんな日にこんなことが起きちゃうのよ。長男はうろたえていましたが「こっちと交換してあげる」と私のと交換しました。
まぁ、ずっとお寺さんで使っていたものだから古くなっていたんですよ。
それにしても、破いちゃって。もう。四十九日法要だよ。なにやってんだか。
おかしくって、悲しくって、眠くって。
40分近くもあったのに発達障害がありじっとするのが苦手な長男は椅子に座っていることができました。
本当によく頑張った。お経の本は破いたけど。
車で5分ほどの彼の実家の墓地へ行き、納骨してきました。
彼のお墓の横にはすでに名前が彫られてありました。
『〇〇(義父)の長男、〇〇(夫)』
3週間ほど前、義理の父から聞かれていたのです。お墓の横にある石に何て名前を彫るのか。
私は信仰心がないわけではないのですが、夫の骨を私の好きにして良いのであれば海に流しますよと義理の父母に伝えていました。
「義理の父母の好きなように供養してください。あなたたちの息子なんです。いいんです。義父の長男で名前を彫ってください」そう伝えていました。
生前、夫と話していたのです。
長男を出産する時。出産は命がけであることを初めて知り、死ぬかもしれないことを理解しました。そして、出産準備と一緒に『もし、私が死んだら海に散骨してほしい』と手紙を書いて散骨してくれる会社のホームページを印刷して夫に渡しました。
私の書いた手紙には彼からの返事が書かれてありました。
「生きて」
本当に、それですよ。あなたがですよ。なんで死んでるのよ。ばか。
私は生きます。「夫の分まで生きる」なんて言いません。夫の分は夫しか生きることができない。私は私の人生を生きていきます。夫の魂と今ある分だけの思い出を必死にかき集めて生きていきます。
少し外に出て居るだけでも汗が吹き出るような9月。夫の骨は夫の義理実家のお墓に入り、重たい石のドアがゴトンと閉められてしまいました。
『大丈夫、私が死んだら出してもらうように頼んでおくよ。一緒に海に行こう。一緒に色々旅しよう。二人で行こうね。それまでそこで待っててね。』
そう心で強く思いました。
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