自己紹介
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発達障害がある長男は家ではあまり困ったことがなく、むしろ弟たちに厳しくしているので兄というより保護者のような立ち位置でいるように感じています。
しかし、学校では社会の中では長男は家に居る時のように人に世話をしたりしておらずむしろ世話をしてもらう側の人間のようです。(本人は世話をしてもらっているつもりはない)
3月に入って間もなく、幼稚園の同窓会の案内が来ました。
『こういうの長男はめんどくさがりそうだなぁ』と内心私は思っていたのですが、長男に話すと「暇だし。行くわ。」と前向きの返答が!
これは気持ちが変わってはいけないと慌てて申し込みそっとしておきました。
そして前日には「そういえば、明日は同窓会だねー」と長男に話すと「忘れてた…。めんどくさいなぁ…。」そう言いつつも当日の朝になると準備していて、前向きの姿に成長を感じていたのです。
親子そろっての同窓会だったので私も懐かしい顔ぶれに混じってお話。
「みんな集合写真撮るよー!」の掛け声に集まってきた子どもたち。
長男は…固まっている。長男は小学校の集合写真も苦手で逃げ回っていたことがあるのです。
「長男、端っこ空いているよ」と声をかけてすすすと置いてみるとその場に留まっていました。
おぉ、成長。
しかし、私の感じた『成長』とは別に『他の子どもたちとの差』はもっと強烈なものでした。
懐かしい先生が司会進行をされ
「さぁ、みんなまずは自己紹介からお願いします。年長のときのクラスと、あと中学校で頑張りたいことを順番に言っていってください!」
そう声をかけると「えー!」「なんて言おう。」という声と自己紹介の場所に向けて動いている子どもたちの合間をぬって大きなピアノの足元に座り込む長男。
ま、ま、ま、まさか…。
はい。長男の『ぼくはやりません』というスタイルでした。特性がダダ漏れです。
私は保護者席に座って、他の子どもたちが自己紹介をしてく様子とピアノの足元から座り込んでピクリとも動かない長男を見つめました。
『今まで、長男は幾度となくこんな様子を学校で見せてきたんだろうなぁ。実際に息子のこういう姿見ると辛いなぁ。』
長男の周りには幼稚園の先生方がきて、何人か声をかけてくださったりもしましたが、長男の意思は変わりませんでした。
長男と同じ小学校の友だちクループも声を掛けに来てくれましたが、ピクリとも動きませんでした。
『私は今、初めて社会にいる長男を見ているんだなぁ』
長男はどう思っているのか?私と同じように苦しく思っているのか?それともなんとも思ってないのか?
私がそばに行くこともできましたが、これが社会での長男の姿なのだと見守ることにしました。
実際に中学校やもっと大きくなって社会人になった時、長男の傍らにずっと私がついていることはできないからです。
そのあと、『○×クイズ』や『イントロどん』もありましたが長男はグループに加わることなく…。
自宅に居たときは「しりとりゲームがあったら、おれ負けないけどな」と嬉しそうに話していた姿を見ているのでもどかしい思いをしていました。
一人の男の子が私に話しかけてきました。
小学校は別になったのですが、今もたまに長男と遊んでいる男の子です。
「長男、どこいったん?」と。
私は「ピアノの足元にいるよ」と答えると、その男の子はグループからすっと抜けて長男の横でずっと折り紙をしていました。
うぅ。申し訳ないやら、ありがたいやら。
ゲーム遊びが終わると自由な時間になり長男の周りにも何人か友だちが集まり折り紙をしたり話ししたりしていました。
終了時間になると園庭で鬼ごっこを始める男の子たち。
体はずいぶん大きくなったのですがやっている遊び方は全く変わっておらず笑ってしまいました。
長男も鬼ごっこに加わって友だちと「うぇーい」と言いながら走り抜けていました。
あぁ、この姿も長男の本当の姿なんだろうなぁ。
自己紹介できないのも友だちと楽しそうに遊んでいるのも私があまり見ることのない社会の中での長男の姿でした。
帰り道に長男に「自己紹介いやだったの?」と聞くと「うん」と。
「だってさ、みんな同じ幼稚園で知っているのになんで自己紹介しないといけないの?」
なんと!恥ずかしいとかもあったようですがそもそも「やる意味がわからない」ということでの拒否だったようです。
はー。びっくりよ。それはそれで。
みんなやっているし、とりあえずやっとこうかってならないのが不思議。でも、自分の気持ちや思いがあるのが素敵。
クイズとかは「自分が間違うといけないから」と参加しなかったようです。
本当に色んなことに長男には理由があって行動しているんだなぁ。改めて実感しました。
面白いけど、生きにくいだろうなぁ。
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