自己紹介
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私が住んでいるのはとても田舎で、夫の両親は仏教の信仰心がかなりあるお家です。
夫が死んだ時、葬儀屋さんに「フツウは配偶者が喪主となります」と言われたので「私がやります」と言ったものの、遺骨も位牌も全て夫の実家に置いているのです。もちろんお墓は夫の実家のお墓。
そのお墓の横に名前を彫った石を並べているのですが「〇〇(私)の夫」ではなく「△△(義理父)の息子」として名前を入れてもらっています。
私は日本人で、実家も田舎なのでフツウの仏教でやってきているのですが、どうも信仰心が私にはあまりないようなのです。
夫を思う気持ちや悲しい、つらい気持ちはあるのですが、義理実家のように四十九日を迎えるまで毎晩お経を読もうとしないし、お墓も毎日行きはしないのです。
分骨したお骨は自宅にあるのですが、その分骨の周りには子どもたちが作った作品なんかが置いてありお線香なんて立てることなんてないし、ゴハンを備えたりもしない。
彼の好きそうなお菓子があれば、ちょっと置いてみる程度なのです。
夫は生前「おれが死んだら葬式とかしないで」と言っていました。私は「あなたの実家のお墓に私の骨を入れないで。知らない人ばかりに囲まれるのなんていやだ。海に散骨してほしい」と伝えていました。
結局、夫のお葬式はしたのだけれど。
どうしても40代で亡くなってしまった夫は、『私の夫』というより『義理実家の息子』であることが強く感じてしまい、義理実家には「お父さんとお母さんの好きなように供養してください。あなたたちの息子なんです」と伝えてきました。
そりゃね。息子、死んだらつらいですよ。父親が死ぬのもつらいですけど、息子も辛い。
そんなわけで、名前だけ喪主をしている私は田舎ならではの『〇〇(供養)がある』と呼ばれた日に顔を出しているのです。
なんだか申し訳ないなぁと思いつつ、毎日を必死に生きているので許しておくれとも思うのです。
心の中の夫にも「甲斐甲斐しく供養してなくてごめんね」と呟くのですが「しなくていいよ」と言っている気もします。夫は、めんどくさがりでしたからね。
私はどうしても心で思っていることのほうが良いような気がして、良い喪主にななれそうにないのです。
こんな喪主でごめんね、夫よ。
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