自己紹介
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今週のお題「書いてよかった2023」
「書いてよかった」とはまだ思えないけど、書かなきゃ吐き出さなきゃ耐えられるものじゃなかったって感じですね。
私には3人の息子が居ます。小6、小4、年長。その3人共が発達障害があり、学校とう子どもが最初にである社会にうまく馴染めなかったり自分の思いと周りとの差がありすぎて辛くなったりで色々ありました。
最近では、知的障害もADHD、LD、様々なものが『発達障害』と一括りにされており、『発達障害があります』と言ってもどのくらい支援が必要なのか、人がつきっきりでないといけないのか、それとも社会にうっすらと馴染めるほどのものなのか、色々違いがあるのです。
ちなみに我が家の三兄弟は知的障害がないタイプ。一昔前では「あの子、ちょっと変わっているね」と言われながらも通常学級を経て大人になっていくような感じ。
だからこそ、親の「支援してほしい」という依頼を周りに出していかないと具体的な支援につなげることができないのです。ここが大変。
なんせ、当の本人は困っていないもの。
発達障害の判断基準のなかに「困り感」というものがあります。
私から見ると「困っているんじゃない?」と思うのですが本人たちは「困るっていうか嫌なだけ」という感じです。
「嫌だからやりたくない」ただ、それだけなんですよね。
そんな凸凹三兄弟をてんやわんやで育てている中、夏休みに入ってすぐに夫が急死しました。
子どもたちはすべてを見てしまいました。
自分の父親が倒れている姿も、私が必死に蘇生術している姿も、病院で大きな心臓マッサージの機械で揺さぶられている姿も、医者に死亡確認された時も。
ただでさえ、敏感でいつもと違うことが苦手な子どもたちは、とても壮絶な夏を過ごしたのです。
この話をすることで今もどこかで、私と同じように絶望している人に少しでも力になれるようにという思いで書いています。もちろん、吐き出さないきゃ耐えきれないのも事実ですけど。
こんな人生を歩むと思いもしませんでした。
毎日なんかかんかある子どもたちの成長を感じるのも、今は恥ずかしくて繋いでくれない手も年を取ればいつか繋いでくれるようになるはずだった。
ずっと一緒に過ごす予定でしたから。
すべてを奪われた気持ちです。
はらたつ、ちくしょう。と、死んだ夫にたまに悪態をつきつつ日々生きております。
2024年。中1、小5、小1になる息子たち。
まだまだ私の忙しい毎日は続きそうです。
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