自己紹介
救急搬送された夫についていったという話しからです。
※注意※
以下は『人の死』について書かれてあります。苦手な方は読まないようにご注意ください。
家を出る前、に子どもたちに「お母さん、お父さんについていくから、おばあちゃんが迎えに来るまでおうちでみんなで待っててね」と声をかけると顔を固くさせた次男が「わかった」と呟いた。
病院に向かいながら心臓のバクバクは収まることはなかった。
「夢じゃないのか?」「いや、現実だ」と繰り返していた。
受付で彼の保険証を渡し、「こちらです」と案内された救急対応するお部屋に案内された。
「奥さん!旦那さんの服を切ってもいいですか?!」と叫ばれ「かまいません」と返事した。
彼は口に酸素マスクのようなものをつけ、機械的に動く心臓マッサージが動き続けていた。心臓マッサージの機械が大きく動く度に彼の体も大きく動く。
あぁ。神様。お願い。嘘と言って。
「奥さん、外でまっててください。」白衣の主治医らしき先生がそういった。「もう少し頑張ってみますから」
その言葉の意味をすぐに理解した。
彼は・・・。
椅子に座りながら『あの人が目を覚まして「あの時は本当にドキドキしたね」と話させて』『こんなことあったのに「生きてるってすごいよね」と二人で笑わせて』、そう強く願った。
しばらくしてスタッフの方が出てきた。
私から話しかけた。「来ることができる人は全員呼んだほうが良いですよね?」
「そう…ですね…」
心臓のバクバクは収まらない。
義理実家に電話をする「子どもたちも来れる人もみんなきてくださいって」やっとの思いで話す。
「だめだったん…」義母の力ない声がする。そりゃそうだよ。息子だよ。愛しい息子が死んでしまった。
暫く待つと、三男が走ってやってきた。私の腕に飛び込んできた。長男と次男の足取りは重たい。
「みんなでお父さんに会いに行こうね」
そういって救急のお部屋に入った。
「お父さんね、頑張ったんだけど。もう生きられないみたいなの。この機械がね、動かなくなるとお父さんの心臓、止まっちゃうんだって。でもね、お父さんの魂はもうずっと永遠に私達と共にあるからね。決して離れることはないから。大丈夫なんだよ。」
子どもに言い聞かせているのか、自分に言い聞かせているのか。わからないまま子どもたちに話した。
長男は「お父さん!お父さん!お父さん!」と病院中に響き渡るような大きな声で叫んで泣き崩れた。
次男は部屋の隅に固まったまま目をそらし「いやだ。いやだ。この部屋から出よう。帰ろう」と現実が受け入れられない。
三男は「ぱぱ、起きたらみんなで帰るんやろ?」とニコニコしている。
あぁ。どうして。なんで。どうしよう。
義理の父母は「このあとどうしよう」と話し合っている。「葬儀場に連絡ですね。まず」と私は冷静に返事をする。どうやら義理実家で入会している葬儀場があるらしい。
葬儀する場所も決まり、夫の体を運ぶまで、2時間ほどあり、一旦子どもたちを連れて帰宅することにした。
家に帰ると、彼の車があり靴がある。
昼ごはんのあとイライラした私のために洗ってくれたフライパンがまだ乾いていない。
ほんの2時間前には生きていて、三男に昼ごはんを食べらせて、食器を洗って、「いってらっしゃい」と言っていたのに。
あの人だけがいない。
この世界に、あの人だけがいなくなってしまいました。
長男は私にむかって「おれがお父さんになる」そう言い切りました。
どこの世界に小6のお父さんがいるのよ。発達の凸凹があって、自分のことすらやっとだったり、修学旅行なんてストレスで偏頭痛が酷すぎて私が修学旅行先まで送っていったっていうのに。
それでも自分しかいないと長男は感じているようです。
こんなことで子どもを大人にさせたかったわけじゃない。一生消えない心の傷がついてしまった。どうしたらいいの!?
部屋中どこを見ても彼のもので溢れている。彼の畳んだ私たちの洗濯物が部屋の隅に積まれてあった。
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