自己紹介
夫が死んだ日。きっと眠れなくなるだろうと以前、心療内科からもらったレンドルミンという睡眠薬を飲んだにも関わらず、2時間ほどしか眠れなかった。
おかしいな。いつもレンドルミンを飲むと6〜7時間はしっかり眠れるのに…。それだけストレスが強いのかなぁ。ぼんやりと思いながら子どもの様子を見に行く。
すーすーと眠っている子どもの音を聞いて安心する。
でも、心のざわつきは収まることはなかった。
世界中が憎くて羨ましくてたまらない。
みんないつもと変わらないのに、昨日の朝と今朝とはこんなにも違う。
朝から葬儀の打ち合わせが1時間ほどある。そして昼から夜の通夜にかけて葬儀場で過ごさないといけないので、子どもたちの朝食を準備して摂らせたあと、「お母さん、ちょっとお出かけしてくるからみんなで待っていて。お昼からみんなで葬儀場っていうお葬式をするところにでかけるからね」と説明するもどこまで理解してくれているのか…。
次男は昨日、一度も泣かなかったが今朝は朝から「なんでお父さんが死なないといけなかったの!?」と泣きながら何度も聞いてくる。
心が痛い。苦しい。
「次男、ごめんね。お母さんもお父さんも病院の先生も頑張ったんだけど生きられなかったんだよ」と体を抱きしめながら伝える。
自宅から葬儀場までは10分程度の運転が必要だ。ふわふわしたまま運転するわけにはいかない。「私は今から葬儀場にいく。右、左大丈夫。前進…」ぶつぶつと行動の一つ一つを確認しながら運転する。
葬儀場では義理の父母が待っていた。昨夜、夫の体と一晩、一緒に過ごすといっていた。
喪主は誰がするのか?という話になり、「普通は配偶者の方です」と言われ「私がやります」と答えた。喪主。聞いたことあるけど、そんなことやったことすらない。
祭壇、棺、会場の花、葬儀のスタイル、ありとあらゆることを話し合う。
ねぇ、まるで結婚式の時と似てるね。あなたといっぱい決めたね。とぼんやり思う。あなたは側に立ってはくれないけれど。私、一人で立たないと行けないけれど。
「では、奥さん、あと2時間ほどで戻ってきてください。そのときに、遺影の写真と思い出の写真12枚ほども持ってきてください。」
なんてこった。子どもたちも連れに戻って、昼ごはんも買ってきて、その上、写真を!?
写真がいりますと昨日何となくは聞いていたが…。思い出の写真を探さないといけない。あなたが生きていたときの楽しかったときの写真。
車で自宅に戻る途中、頭の中をぐるぐると一生懸命に働かせた。
明日の葬儀では夫の体は燃やされてしまう。なくなってしまう。
子どもたちに今ならなにか残せるかもしれない。三男はまだ5歳だ。5歳のときの記憶なんて曖昧で霞のかかったような記憶しか私にはない。それが三男のお父さんに対するすべての記憶になってしまう。どうしよう。
写真の印刷を写真屋さんで選んでいる中で急に思い立った。
彼の手形を遺そう。
そこから文具店に走り込み「成人男性の手形がとれるものありますか?」必死の形相だったと思う。「赤ちゃん用はありますけど、大人のものは…」と言われ「何かそれに替わるもの、手形のとれるものはないでしょうか?」と更に聞いてみる。
「インクと色紙はどうでしょう?」と提案され、「絶対に消えないインクをください」と懇願する。
「これは、光の耐性もあるので絶対ではないですが、良いと思いますよ」と言われ、インクと色紙を購入した。
ヤバい。時間がない。ここで1時間半ほどかかっている。
急いで帰宅して、子どもたちに「今から行くよ」と説明して連れて行く。葬儀場ではWi-Fiもあるらしいのでタブレットと充電器も持参。
なんとか戻り、通夜の時間、翌日葬儀の時間が決まった。
夫の共通の友人に連絡した。
私の親しい友達の一人は実は、夫と同じ職場に努めていて、昨日の段階で伝えていた。「夫の会社に連絡したいがどうしたらいいのかわからない」と泣きながら連絡した。
彼らに日時を伝える。あと家族葬にしたことも伝える。
生前から私達夫婦は「葬式はしたくない」とか「挿管はしたくない」とか意思確認をしていた。
気管挿管とは
何らかの原因で気道に閉塞が生じている、または生じる可能性がある患者さんや、人工呼吸管理が必要となった患者さんに対し、気管内にチューブを挿入・留置し、気道を確保する方法です。気管挿管には、「経口気管挿管」と「経鼻気管挿管」の大きく2つがあり、多くの場合、緊急時は経口気管挿管が第一選択とされます。
挿管は一度、行ったら抜くことはできない。抜いたら「死」を意味するから。自分はどんな「死」を望むのか。『挿管をしない』と選択すると『相手の死を選択』することになりすごく罪の意識が大きくなる。しかし予め話し合い「自分は挿管を望まない」ことを確認しておくことで『相手が望んでいるから挿管しない』という選択肢ができる。
もちろん「どんな形でも生きていてほしい」と願い挿管を希望する人もいると思う。
本人がどう生きたいのか?それを私達夫婦は確認していた。
結局、挿管を行うという選択肢ももてないまま彼は亡くなってしまったのだが…。
また、今後のことも考え子どもの小学校と園にも連絡しておいた。
私が一番に考えないといけないことは子どもたちのケアだ。そして、私は決して死ぬことができない。子どもたちには「お母さんは大丈夫。」と何度も伝えた。
子どもたちと彼の体に触れる。
とても冷たい。
「ぱぱ、冷たいね」と三男は言う。
暖かいほうがいいもんね。動かないぱぱなんて嫌だよね。
長男は部屋の隅で寝っ転がって動かない。次男はひたすらゲームをしている。
「手形をとりたいんです」と葬儀場の担当者に伝えて、彼の手を開いてもらう。
だめだ、硬直していてうまく開かない。
「ねぇ、あなた子どもたちに手形一つくらい残しなさいよ。しっかり手を開きなさいよ」私はつぶやきながら、必死に彼の手をぐいぐい押した。
不格好な手形が取れた。
なんとなく、手形って感じできれいに開いていない。本当はもっと大きい手なのに。本当はもっと暖かくて、優しい手なのに。
夜、喪服に着替えて通夜に来てくれた人たちに挨拶をする。
みんな、泣いている。
生前、彼は「葬式なんてしたくない」と言っていた。
そもそも結婚式ですらしたくなかった彼を私が厳選した結婚式場に2箇所ほどつれていき、「なんか結婚式してもいいかもって思ってきたわ」と意識改革に成功したのだ。
みんな泣いてる。あなたを思って、子どもを思って泣いてるよ。
夫の会社の人も「本当にいい人でした。」とあまりに褒めるので「でも、あんまり話とかしない人でしょ」と私が笑うと「いえ、話さなくても心は伝わります。本当に優しい人でした」と40代前後の夫の同僚たちは大泣きしている。
そうか、あなたはこんなに愛されていたんだね。
改めて、彼の人柄を意識する。
小学校の先生も来てくれたが、次男は先生の顔も見ようとしない。長男は寝っ転がって動かない。
三男もゲームをしたり私にくっついたりしている。
通夜と言っても祭壇が組まれた式場に椅子が並べてあり、お経を読む。お葬式にとても近いスタイルだった。
学校では姿勢の保持が難しい長男、次男もしっかり座っていた。三男はふざけている。
わかっている。三男は現実を見たくない。不安が強すぎる。
三男を抱っこしたり、ちょっと歩いたりしながら通夜が終わった。
子どもたちを連れて自宅に戻りつつ明日の予定を話す。
「宗教っていってね、国によってお葬式の仕方も色々あるんだけどね。日本では仏教っていうのがほとんどだったりするの。おじいちゃんたちのお家もそうだから、お坊さんがきてお経を読むんだよ。明日は、お葬式と火葬っていってね。お父さんの体を燃やすの。骨になったお父さんを骨壷っていう小さい入れ物にいれるんだよ」
予定を予め話しておかないとパニックになりやすい発達障害。話したい内容ではないけれど、事実を伝える。
「わかった」長男は静かにそう言った。
「お父さんの体を燃やすなんて!なんでそんな酷いことするの!?冷たいお父さんのまま置いておいてよ!」次男は怒鳴った。
三男は全く違うことを話している。
あぁ。この子達の心を全力で支えてフォローできる力をください。今の私には一分一秒を過ごすのがやっとで子どもたちのケアが十分にできない。
荒れた次男に「日本はそういうお別れのやり方なんだよ」と話した。
ほんとにね、なんで燃やすんだろうね。
私も子どもたちも心が置いていかれている。
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