自己紹介
先日、百箇日法要がありました。当日、夕方には義理実家に行き、夕食を頂いて、夜、念仏を唱えました。
百箇日(ひゃっかにち)法要は、最近しないおうちも多いのだとか。夫の実家は法要について丁寧にされているおうちのようで、私が喪主なんですけど本当に名ばかりの喪主であったと思います。
元々、百箇日法要の話があった時、子どもたちにも説明しましたが、次男は「そんなお祝いしたくない!」と憤慨しておりました。
それでも私の話に「しかたないから行くわ」と不本意ながらに参加した次男。
お念仏の時には「やりたくない!」という三男、それに付き添う長男、誰もお念仏唱えないのならと参加した次男で三者三様でした。
次男は最後まで座ってお念仏を唱えていたのですが、長男と三男の居る部屋に戻ると私にだけそっと「おれの15分を返してほしい」と呟いていて笑ってしまいました。
義理の父母(子どもたちにとっては祖父母)は、「次男、偉いね。きっとお父さんも喜んでいたよ」と褒めてくれるのですがね。
そして、お念仏の後は「お茶を飲みなさい。空念仏は唱えてはいけないよ」とお茶を勧められ、次男は「いらん」とまたもや不機嫌。
些細なことですが、本当に信仰心があり重んじている義理実家に対して信仰心の薄い私や子どもたちだなぁと思います。
信仰心は一見薄そうですけど、父親のことを夫のことを思ってないわけではなく、それぞれの思い方をしているだけなんです。
義理の父(祖父)に「明日はお墓に行くぞ。お父さんがいるよ」と誘われても「いかん」と答える子どもたちにちっとも薄情だと思えない私がいるのです。
不思議なんですけどね。
強く夫を思うと夫の声が聞こえる気がするのです。
それは、私と夫が過ごしてきた時間で培われた「夫ならきっとこう言うだろう」という予想なのか、本当に聞こえるのか分からないですけど。
お念仏を唱えている次男に対して夫は「次男、ごめんな」と言っているような気がするのです。「ありがとう」なんて言っていない。
お礼なんか言わない。
きっと「じっとするのも難しい。読み上げたくもない念仏を唱える次男に対して申し訳ない」と感じているような気がするのです。
こんなこと言ったら本当に信仰心のない薄情な妻ですけどね。
そんな気がするのです。
違いますかね?どうですか?夫よ。
なんてね。返事なんて返ってきやしないわ。
そうそう、WiFi復活しました。外にある機器の経年劣化だそうで。
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