子どもを信じるているのか?
私は、この言葉を言われたことがあります。よく見かけるような、「子育てとは」という話では扱われる言葉なのかもしれません。
子どもを信じる
それは、親だから、先生だから、大人だから、子ども信じていないといけないのかもしれません。
しかし、私はある意味で、子どもを信じるということはできない。
それは、子どもは私自身ではなく別の意志のある人間であるからです。
ある意味で信じることはできない。
私自身、「思ってたのと違う」ことが起きるのが苦手です。パニックになったりはありませんが「いやだな」と思うのです。
だから、「もしかしたら~あるかもしれない」「いざというときのために〜しとこう」というのが多いのですが、子どもについて、その予想範囲を越えることは多いのです🥲
特に、社会に出ている時のこどもたちついては、私は十分に理解できていないと思います。
社会に出ている。つまり、保育園、幼稚園、学校で過ごしている時の子供の様子です。
普段、家で過ごしている時の様子、雰囲気は分かりますが、社会にでて過ごしている子どもは、家の様子とは違います。
頑張っていたり、緊張していたり、我慢していたり、かと思えば、調子にのってたり、強がってたりしているのです。
ベースとしての雰囲気は分かっていても、社会での様子は違うことが多いのです。
そういった意味で信じること(自分の想像している子どもの様子)は、できないのです。
子育て理念
私の子どもを育てる上で思っていること。
傷つけたり傷つけられたりしながらも、真っ直ぐにしなやかな人間になって欲しい。
傷つかない人生なんてありえないし、他人を傷つけない人生もありえません。言葉や幼ければ体で互いに傷ついたりするでしょう。それでも、自分を愛し、信じてほしい。そして、困難に遭遇したら挑戦してほしいが、心が折れてしまったら、時にはしなやかに、違う道を探してほしい。誰かに頼ったりしながら生きてほしいのです。
しかし、理念は理念。実際にそう育つかは分からない。肩の力を抜きながら、でもやれることを頑張るしかないなと思うのです。